2017年03月25日
おっかけ?日記。1.角田光代さん×俵万智さん@えびの市文化センター 2.角田光代さん @鹿児島市民文化ホール
【営業時間のご案内 ※カレンダー付き】
月木:10〜21時
水:10〜18時
金土日:10〜19時
(早じまい、遅開店あり ※できる限りお伝えします)
●火曜定休(+臨時休業あり ※わかった時点でお知らせします)
あす26日(日)は2ヶ月に一回のD&Dさん立会い販売日です!
マルヤガーデンズ4Fへ!

【角田光代さん追っかけ(?)レポート!】 ※遅くなりました…。。
3/16、17の二日間、行ってきました、角田光代さんのトークショーです。
16日は、宮崎県えびの市、俵万智さんとの対談という豪華な組み合わせです。
同じ作家さん同士ですが、小説家と歌人では創作の仕方や普段の考え方がだいぶ違うものだと実感します。
短歌は、「あくまで一人称、どういうふうに考えても第三者の目からは作れない」と俵さん。たしかにそのとおりで、その読んだ人の気持ちをあらわすわけですね。客観的な目線には成り得ない。それに比べ、小説。こちらにはいろんな視点があるわけです。主人公自らの視点が一人称で書かれつつ、誰かの行動が三人称で描かれていたりするわけです。こんな違いを考えたことはなかったので純粋に面白く感じました。
また、創作活動に対するスタンスの違いもなかなかユニークです。俵さんは普段の生活をしながらふとネタを思いつくそうです。なんでも、短歌をつくりやすい脳波がアルファ波らしく、つまりそれはリラックスしているときの脳の状態だとか。それで普段の緊張していない場面で自然とふっと湧き出てくるものなのかなぁと。面白いです。他方、角田さんはというと、「仕事場でしか絶対書かないし、書けない」とのことで。とにかく仕事場にこもっている間に集中して書き進めるようなのです。なかなかアイディアもでないときもあるけれど、そのときはPC上のいくつかのファイルを閉じたり開けたりといった作業をしている間にだんだん閃いてくるのだとか。とにかく仕事場にいるときは仕事以外のことをしないようにする。その代わり、それ以外の時間は仕事のことは考えない、しない。徹底した姿勢ですよね。午前中に出勤し、17時には仕事場を離れる。このパターンも確立されています。このような、創作に対する姿勢の違いもよく知ることのできた会でした。
追記・ちなみに、この会をあとにしてから、私は個人的にしょっちゅう短歌を頭のなかでつくるようになりました。それをちょくちょくツイッターに書き込んでいます。
17日。鹿児島を二ヶ月ぶりに再訪。市民文化ホールです。
今回は向田邦子について語る会です。角田光代さんと向田邦子。このおふたりはよく似ているなぁというのが昔から抱いているイメージです。
まず作品の作風ですね。そして、猫好きな点、筋金入りの旅好きな点、料理が好きでなおかつエッセイによく食べ物の話が出てくる点などでしょうか。女性から特に人気がある点も似ていると感じていました。しかし、角田さんの語る向田さんは、考えてもいない点を突くものでした。そのひとつが、角田さんは“女性にやさしい”のに比べ、向田さんは“男性にやさしい”という点。愛猫のマミオに対するエッセイでの書き方に「男性全般に対する敬愛の念を抱いている」ことが垣間見えるのだとか。エッセイではマミオの欠点をひたすらにあげつらい、それが男性への批判のように見せかけて、実は愛情の裏返しであって、と。そこが角田さんとの違いで、角田さんの小説に出てくる男性はろくな人がいない(苦笑)。やはり女性に対するやさしい眼差しが基本にあるということです。ここが大きな違いですよね。だから向田さんは実は女性に対して厳しくもあるということなのですが。
そしてもうひとつ、大きなテーマだったのが「表現方法」について。文章表現には、小説、エッセイ、論文、脚本…などいろいろありますが、その表現方法と書き手の性質による相性のよしあし、これについての話が印象的でした。
エッセイには大事な原則があるそうです。角田さんは強く言っていました、その大原則というのが「絶対に上から目線でものを書かない」という
ものでした。自分を下げて書く。面白おかしく、トホホな感じも織り交ぜつつ-。それが読み手を惹きつける条件になるとか。一般的に自分を落とすことの苦手な男性はそれゆえエッセイにはあまり向いておらず、なので名エッセイストには男性はいない。という見解には思わず唸りました。なるほどー。。そして、そのまま向田さんのエッセイと小説をミックスさせる巧みな技術の話へと。小説とエッセイは別物で書き方も変えないといけないし、なかなかセオリー的には結びつけにくいのですが、それを同じテーマをベースにして表現方法をそれぞれに書き分けられるのが向田さんということです。どういうことか? 代表作のひとつ『思い出トランプ』のなかの「大根の月」でそれは見られます。
向田さんは食べ物のエッセイの中で、自分が“端っこ”が好きなことを綴っています。ところがその好きな端っこが、小説になると、一気に真逆の、恐ろしいものとして描かれるのです。話自体は最後は落ち着く内容ですが、その“端っこ”の出てくる場面が恐ろしいのですよね。。詳しくは読んでみてください。(ちなみに「大根の月」、実は私にとっても向田作品のなかでダントツに記憶に残っている作品です。やはりその場面の影響なのですが) …とまぁこのように、同じ素材・テーマで、エッセイ、小説ともに書くことができるのが(しかも方向性を変えて)、向田さんのすごさだと、角田さんは語るのでした。
やはり似ていると思うタイプの作家同士でも、お互いを比べると、違うものなのですね。当たり前かもしれませんが、改めてそういうことを感じたひとときになりました。
月木:10〜21時
水:10〜18時
金土日:10〜19時
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●火曜定休(+臨時休業あり ※わかった時点でお知らせします)
あす26日(日)は2ヶ月に一回のD&Dさん立会い販売日です!
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【角田光代さん追っかけ(?)レポート!】 ※遅くなりました…。。
3/16、17の二日間、行ってきました、角田光代さんのトークショーです。
16日は、宮崎県えびの市、俵万智さんとの対談という豪華な組み合わせです。
同じ作家さん同士ですが、小説家と歌人では創作の仕方や普段の考え方がだいぶ違うものだと実感します。
短歌は、「あくまで一人称、どういうふうに考えても第三者の目からは作れない」と俵さん。たしかにそのとおりで、その読んだ人の気持ちをあらわすわけですね。客観的な目線には成り得ない。それに比べ、小説。こちらにはいろんな視点があるわけです。主人公自らの視点が一人称で書かれつつ、誰かの行動が三人称で描かれていたりするわけです。こんな違いを考えたことはなかったので純粋に面白く感じました。
また、創作活動に対するスタンスの違いもなかなかユニークです。俵さんは普段の生活をしながらふとネタを思いつくそうです。なんでも、短歌をつくりやすい脳波がアルファ波らしく、つまりそれはリラックスしているときの脳の状態だとか。それで普段の緊張していない場面で自然とふっと湧き出てくるものなのかなぁと。面白いです。他方、角田さんはというと、「仕事場でしか絶対書かないし、書けない」とのことで。とにかく仕事場にこもっている間に集中して書き進めるようなのです。なかなかアイディアもでないときもあるけれど、そのときはPC上のいくつかのファイルを閉じたり開けたりといった作業をしている間にだんだん閃いてくるのだとか。とにかく仕事場にいるときは仕事以外のことをしないようにする。その代わり、それ以外の時間は仕事のことは考えない、しない。徹底した姿勢ですよね。午前中に出勤し、17時には仕事場を離れる。このパターンも確立されています。このような、創作に対する姿勢の違いもよく知ることのできた会でした。
追記・ちなみに、この会をあとにしてから、私は個人的にしょっちゅう短歌を頭のなかでつくるようになりました。それをちょくちょくツイッターに書き込んでいます。
17日。鹿児島を二ヶ月ぶりに再訪。市民文化ホールです。
今回は向田邦子について語る会です。角田光代さんと向田邦子。このおふたりはよく似ているなぁというのが昔から抱いているイメージです。

まず作品の作風ですね。そして、猫好きな点、筋金入りの旅好きな点、料理が好きでなおかつエッセイによく食べ物の話が出てくる点などでしょうか。女性から特に人気がある点も似ていると感じていました。しかし、角田さんの語る向田さんは、考えてもいない点を突くものでした。そのひとつが、角田さんは“女性にやさしい”のに比べ、向田さんは“男性にやさしい”という点。愛猫のマミオに対するエッセイでの書き方に「男性全般に対する敬愛の念を抱いている」ことが垣間見えるのだとか。エッセイではマミオの欠点をひたすらにあげつらい、それが男性への批判のように見せかけて、実は愛情の裏返しであって、と。そこが角田さんとの違いで、角田さんの小説に出てくる男性はろくな人がいない(苦笑)。やはり女性に対するやさしい眼差しが基本にあるということです。ここが大きな違いですよね。だから向田さんは実は女性に対して厳しくもあるということなのですが。
そしてもうひとつ、大きなテーマだったのが「表現方法」について。文章表現には、小説、エッセイ、論文、脚本…などいろいろありますが、その表現方法と書き手の性質による相性のよしあし、これについての話が印象的でした。
エッセイには大事な原則があるそうです。角田さんは強く言っていました、その大原則というのが「絶対に上から目線でものを書かない」という
ものでした。自分を下げて書く。面白おかしく、トホホな感じも織り交ぜつつ-。それが読み手を惹きつける条件になるとか。一般的に自分を落とすことの苦手な男性はそれゆえエッセイにはあまり向いておらず、なので名エッセイストには男性はいない。という見解には思わず唸りました。なるほどー。。そして、そのまま向田さんのエッセイと小説をミックスさせる巧みな技術の話へと。小説とエッセイは別物で書き方も変えないといけないし、なかなかセオリー的には結びつけにくいのですが、それを同じテーマをベースにして表現方法をそれぞれに書き分けられるのが向田さんということです。どういうことか? 代表作のひとつ『思い出トランプ』のなかの「大根の月」でそれは見られます。
向田さんは食べ物のエッセイの中で、自分が“端っこ”が好きなことを綴っています。ところがその好きな端っこが、小説になると、一気に真逆の、恐ろしいものとして描かれるのです。話自体は最後は落ち着く内容ですが、その“端っこ”の出てくる場面が恐ろしいのですよね。。詳しくは読んでみてください。(ちなみに「大根の月」、実は私にとっても向田作品のなかでダントツに記憶に残っている作品です。やはりその場面の影響なのですが) …とまぁこのように、同じ素材・テーマで、エッセイ、小説ともに書くことができるのが(しかも方向性を変えて)、向田さんのすごさだと、角田さんは語るのでした。
やはり似ていると思うタイプの作家同士でも、お互いを比べると、違うものなのですね。当たり前かもしれませんが、改めてそういうことを感じたひとときになりました。
Posted by つばめ at 12:42│Comments(2)
この記事へのコメント
「エッセイは自分を下げて書く」の話です。
自分を下げすぎて、その下げすぎ加減が上滑りしてる場合もままありますよね。
筆者はそのコミカルな感じが面白いだろう、受け入れてもらえるだろう、と思って書いているんでしょうけど、そういうところけっこう読み手は気づいてんぞ、っていう。
媚びへつらってんなー!!って(笑
あ、角田光代さんの話ではないです笑
思い当たる人が頭をよぎったのでつい、、
角田氏は、エッセイも物語も書評もめっぽう上手く、素晴らしい作品ばかりである、まあ、小説の方は数冊しか読んだことはないのだがな(上から目線)。
自分を下げすぎて、その下げすぎ加減が上滑りしてる場合もままありますよね。
筆者はそのコミカルな感じが面白いだろう、受け入れてもらえるだろう、と思って書いているんでしょうけど、そういうところけっこう読み手は気づいてんぞ、っていう。
媚びへつらってんなー!!って(笑
あ、角田光代さんの話ではないです笑
思い当たる人が頭をよぎったのでつい、、
角田氏は、エッセイも物語も書評もめっぽう上手く、素晴らしい作品ばかりである、まあ、小説の方は数冊しか読んだことはないのだがな(上から目線)。
Posted by もしもし at 2017年03月26日 01:03
>もしもしさん
そうですね、たしかに下げすぎるとまた、やりすぎ感が出ちゃうのでしょうかね~。その按配が各人の味付け加減といったところなんでしょうかね。いろんな見方ができて面白いと思います。
それにしても角田さんのエッセイ、絶妙ですよね~。個人的にはランニングをはじめとするスポーツネタ満載の『なんでわざわざ 中年体育』がやはり好きです。自分もランニングするので。
そうですね、たしかに下げすぎるとまた、やりすぎ感が出ちゃうのでしょうかね~。その按配が各人の味付け加減といったところなんでしょうかね。いろんな見方ができて面白いと思います。
それにしても角田さんのエッセイ、絶妙ですよね~。個人的にはランニングをはじめとするスポーツネタ満載の『なんでわざわざ 中年体育』がやはり好きです。自分もランニングするので。
Posted by つばめ
at 2017年03月27日 19:49
